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「海外移住で体験したこと考えた事。三十年で出会ったもの」
東南アジアで着実に発展してきたタイ。この激動の時代三十年を起業家として生きた著者の、七転八倒の人生を伝えたい。ビジネスやプライベートで出会った人や家族、市民を従わせる者としか考えない官僚たち、ルール無用の商売人たち、偶然出会ってしまった事故や事件、経験を通し考察したこの国の社会、歴史まで。
著者: 小川邦弘
日本税理士合同事務所タイランド ogawa@nihon-zeirishi-cooperate.com

イスラム少数民族の悲劇 その1

 最近、当地のニュースで連日報道されている「南タイの人身売買」について解説してみたい。一般的に考える人身売買とは大きく構図が違うので、ニュースを読んだだけでは実態が掴めず、私も疑問だらけであったため、調査を行った結果である。

 ニュースの骨子は、以前より南タイのアンダマン海側(西側)海岸へ、小型船舶にぎゅう詰めに乗り込んだ難民が、ミャンマーから何度も流れ着いていた。しかしタイ海軍は毎回それを追い返していた。つまり難民認定の問題とするまでも無く上陸を拒否した訳である。ところが最近になって、難民の一部がタイに上陸し、しかも山中に難民キャンプまがいの施設があり、難民の中には殺害され埋められていた者もあったということで、警察が捜査に乗り出し、大きく報道され始めたのである。

 歴史をさかのぼれば、ロヒンギャのルーツはベンガル人である。べンガル人は主にバングラデシュとインド領ベンガル州に居住し、インド独立の際にヒンドゥー教徒はベンガル州に、イスラム教徒はバングラデシュにと分割された。ついでに言えばバングラデシュとは「ベンガル人の国」という意味である。

 その独立前であった英国植民地時代、今回舞台となっているミャンマーの地域は「アラカン王国」と呼ばれており、その支配地域は現在のミャンマー西部と、バングラデシュ領チッタゴンやコックスバザール周辺であった。支配はやがてビルマ王朝、英国統治へと移り変わったが、英国植民地政策の常套手段である分割統治により、当王国の農地はベンガル人イスラム教徒移民に与えられた。これがこの地域の「仏教徒対イスラム教徒の対立」の始まりだと言われている。

 その後英領行政が破たんすると、失地回復したアラカン人たちはミャンマー軍に協力し、ロヒンギャの迫害と追放を開始、それは後のネ・ウィン将軍の軍政下では国籍剥奪を立法化するまでに至った。
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 1988年には、ロヒンギャがアウンサン・スーチーの民主化運動を支持したため、当時の軍事政権は財産差し押さえや強制労働など強烈な弾圧を行った。後の政権下では多くの難民が彼らの故国であるバングラデシュに難民として亡命したが、国際救援物資が彼らの元に届かず、約1万人が死亡したとも言われている。

 昨今の事態については次回、報告する。

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