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「海外移住で体験したこと考えた事。三十年で出会ったもの」
東南アジアで着実に発展してきたタイ。この激動の時代三十年を起業家として生きた著者の、七転八倒の人生を伝えたい。ビジネスやプライベートで出会った人や家族、市民を従わせる者としか考えない官僚たち、ルール無用の商売人たち、偶然出会ってしまった事故や事件、経験を通し考察したこの国の社会、歴史まで。
著者: 小川邦弘
日本税理士合同事務所タイランド ogawa@nihon-zeirishi-cooperate.com

赤シャツ・黄色シャツ・マルチカラー(2010年タイの政治騒乱)その1

2010年4月上旬の日曜であった。ある友人とランチの約束をしていた私は、自宅前でタクシーを止め、目的地のショッピング・コンプレックス「セントラル・ワールド」へと指示し乗り込もうとすると、運転手に“とんでもない”という語気で乗車拒否された。おかしいなとは思いながら、仕方なく徒歩で高架電車の駅から目的地と直結している駅へ移動した。連絡橋を辿り近付いていくと何やら物々しい雰囲気で、地上を見下ろすと先にあるラチャプラソン交差点(バンコク一のショッピング・エリアであるこの地域の中心)方面にかけてすべて赤一色だ。それは赤いシャツ、赤いバンダナを身に付け更に赤い大旗小旗を振り、ピックアップやバイクで乗り地方(主に東北)から終結した「赤シャツ派(タクシン元首相支持派)」が都心の大きな交差点を交通遮断し、この朝から占拠を始めたのである。この光景には驚いたが、「まあ勝手にしておれ」と思い混雑をかき分け目的のビルへ入ろうとすると、エントランスからどんどん人があふれ出てきており、警官がメガホンで「このビルには避難命令が出た。直ちに退出しなさい」と叫んでいる。

すでに正午、「何だ、楽しみのランチはどうしてくれるんだ」と腹を立てながら、諦めて場所を変更する旨連絡を取りながら、デモ隊で埋まった交差点に突き進み無理やりに横断し、次の駅から高架電車に乗り直した。友人は降車した駅に引き返し、別の店で合流することができた。後で冷静に考えれば、ビルから追い出された人たちは食事もそこそこに引きあげてきたのだろうから、それはそれで気の毒だった。

私がこの赤シャツ派たちに素直になれない訳は、親タクシン派と標榜しあたかも守旧派に虐げられた民衆を守る民主改革者、という看板を掲げてはいるが、実態はこのただ一人の逃亡中刑事犯罪者である元首相から与えられた資金から日当を得て、農閑期に毎年都心へなだれ込み憂さ晴らしをする農民たちがほとんどなのである。もちろん政治信条などかけらも無い、ただしそれだけに彼らもまた政治に利用される犠牲者である。

その赤シャツ派に対し真っ向から対立するのは、都市ホワイト・カラー層の支持する黄色シャツ派である。もちろん彼らが反タクシン派であって、首相としての利権を大いに利用し莫大な蓄財をした彼を告発、有罪に持ち込み国外逃亡せざるを得ない様に仕向けた勢力だ。あくまで立憲君主国家としてのタイを守るという云わば守旧派であるが、この黄色シャツ派もかつて赤シャツとの対立で先鋭化し、空港封鎖などという犯罪的行為を行ったことがある。これも許されることではない。

この赤シャツ派デモ隊は民主党政府の弱腰に乗じ急速に膨れ上がり、最大で10万人が更に大きな地域を占拠しバリケードを張り、地域住民と商業施設に多大な被害を与える大騒乱事件に拡大する。またこの勢力と陸軍の一派が結託し武器弾薬まで持ち込まれ、銃弾が飛び交いグレネード弾(手榴弾様の爆弾を発射する武器)が一般群衆に打ち込まれるなどという内戦さながらの状態になって行く。

政治の失態あるいは決定された意思により、犠牲となるのは常に一般市民であるという歴史の常道はここタイでもまた繰り返された。(引き続き次回レポートする)

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