弊社役員執筆の下記著書につきまして、すでにクラウドファンディング上での支援者募集は終了しておりますが、
ペーパーバック2,000円、電子書籍1,500円にてご注文を承っております。
https://camp-fire.jp/projects/view/547272
「海外移住で体験したこと考えた事。三十年で出会ったもの」
東南アジアで着実に発展してきたタイ。この激動の時代三十年を起業家として生きた著者の、七転八倒の人生を伝えたい。ビジネスやプライベートで出会った人や家族、市民を従わせる者としか考えない官僚たち、ルール無用の商売人たち、偶然出会ってしまった事故や事件、経験を通し考察したこの国の社会、歴史まで。
著者: 小川邦弘
日本税理士合同事務所タイランド ogawa@nihon-zeirishi-cooperate.com

時事コラム2015-2016 第2回「前首相の犯罪」

タイの政権は、カネで国家権力を買ったタクシン・シナワット時代が長く続き、その権力奪取の過程での汚職が追及され犯罪者となった彼は結果的に国外逃亡し、彼はそのまま海外で流転生活(といっても有り余る資産をお持ちなので、あちこちの国で豪邸暮らしをできる身の上だが)を送っている。その後政権は対抗馬の民主党に移譲されたが、タクシンは海外に身を置きながらありとあらゆる手で政権を操り、政治・行政に全く縁の無かった実妹、インラック・シナワットを農民票の買収により首相に据えた。逃亡中の犯罪者である彼が、あろうことか法律を捻じ曲げてでもと政権復帰を画策し、法常識では「超法規的措置」とされている恩赦を「立法化」しようと試みた。そして農閑期の農民に日当を支払いバンコクの中心にある大交差点を占拠させるなどの無謀な圧力をかけたのだが、やがて暴徒と化したタクシン勢力下のデモ隊の一部が武器を使用し、またいくつかのショッピングセンターやビルに放火するに至り、これを軍隊が制圧し、暫定軍事政権により、吹き荒れた政変の嵐は沈静化したのである。

そして現在、その軍事政権はインラック元首相に対し、上記の買収工作に伴って行った政府によるコメ買取政策で国家財政に莫大な損失を与えたという罪で訴えを起こしている。つまり権力を乱用し国庫負担で政権維持を図っていたということだ。これは早晩、有罪となり巨額の損害賠償も求められることは確実と言われている。

その状況下でインラック前首相は、これも兄の指示なのか似た者兄妹なのか、一時は検察庁幹部を逆起訴するなどという暴挙に出たこともある。いったいどこの国で「容疑者が検察官を訴える」ことが許されるのだろう。この様に法律も裁判制度も一切無視した悪あがきを続けているのである。

さらに最近になって、欧州議会がインラック前首相を「個人的に」招待した、と報じられた。元より欧米の政権からは。「選挙によらない手段で成立した軍事政権」は全てステレオタイプ式に「悪」と批判されており、その批判を利用したタクシン派が前首相の国外逃亡を画策し欧州議会に働きかけたもの、と見られている。外国で今まさに裁かれようとしている容疑者である前首相を公人ではなく“個人的に”招待するという矛盾、またこの招待自体を内政干渉とは云わないのであろうか?

時事コラム2015-2016 第1回「五郎丸はスーパーヒーローか?」 

ラグビー日本代表が歴史的大躍進を実現し、日本には俄かラグビー・ブームが訪れた。新日鉄釜石が連勝に連勝を重ねた「松尾ジャパン」の時代以来、低迷していた日本ラグビーが世界の舞台で活躍し、4年後のワールドカップ日本開催を控え最高の御膳立てとなった。

この様な事態になるとはまったく想像もしていなかった私は、あの歴史的快挙の対南ア戦を見てもいなかったのである。翌日日本の姉からそのことを伝え聞いて、「えっ?それってラグビーの話?」と惚けた反応をした後、慌ててYOU TUBEの動画を探し、あの、最後の連続攻撃を見て感涙に咽んだ。ネットで日程を確認し、対スコットランド戦はバンコクのパブで観戦(結果は残念!!中3日のスケジュールと主審の厳しすぎる判定に悪態をつきながら)、対サモア戦はハノイのヒルトン・ホテル内にあるスポーツ・バーで観戦(家族連れで来ていた子供がバー内を走り回っていたので、ウェイトレスに苦情を言って大人しくさせ)、対アメリカ戦は、何と高校時代のラグビー部チームメイトと群馬県の磯部温泉の宿で観戦(すでにトーナメント進出の可能性は潰えていたため、冷静に勝利を噛みしめた)

しかも中心選手の五郎丸が、スーパーラグビーという、南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリアで行われている、世界最高レベルとも云えるリーグ所属のチームにスカウトされ、近々に契約という素晴らしいニュースまで飛び込んで来た。

オールジャパンや五郎丸が更に活躍を続ければ注目度は高まり、低迷気味のラグビー人口が増え、選手層が厚くなっていけば、これが願ったり叶ったりであることは紛れもない。

しかし、しかしである。約40年前、早稲田大学全盛の頃、日比野監督の著書「早稲田ラグビー」を授業中に盗み読んで大泣きしていたオールド・ラガーとしては、五郎丸人気に対して素直になれないのだ。昨今は国際試合に於いても、トライを上げる毎にそのプレーヤーに抱きついたり、歓喜を大げさに表現するチームが多い。しかしトライも勝利もあくまで15人全員のものであるはずだ。「ラグビーにヒーローはいない。フィフティーン全員が身体を張ってゴールラインまでボールを運んだ結果がトライなのだ。」という日比野理論に一度染まってしまった私たちには、派手なプレイを見せた選手だけを持ち上げる昨今の風潮に物申したくなる。スクラムで生きたボールを出したフォワードの8人、特に最前列のフロント・ロー、敵の選手のひざ下に刺さる様なタックルをする者、敵の足元に身を挺して飛び込みセービングでボールキープをする者、そのすべてのプレイがトライに集約されるだけのことである。騒がれている張本人の五郎丸の態度を見よ、自らのトライやペナルティー・キックの結果を誇る動作をしたことがあるか?彼こそがその早稲田ラグビーの申し子なのであるから、当然といえば当然のこと。

我々の現役時代、この考え方はほぼ選手たち全員に浸透しており、トライした選手に「ナイストライ」の声は掛けるが、決して騒がず。本人は淡々と次のプレイに向かう。これが真のラガーなのだよ。と声を大にして言いたい。

第20代大僧正を任命

ワチラロンコン国王陛下が4年間空席であったタイ仏教界の頂点、大僧正に現在89歳のソムデット・プラ・マハー・ムニーウォン僧を任命したと、2月7日付にて報道された。

庶民の殆どが敬虔な仏教徒であり、毎朝托鉢僧に食物をお供物としたり、仏教関連の祭日には欠かさず寺院でのタンブン(徳を積むの意)というお参りをする人は現在も珍しくない。また男性の義務として短期間の総修行を行うことは特に珍しくもない。私の友人である直木賞作家の笹倉先生は、北タイの寺院にて出家し1年ほどになるが、僧侶としての生活が非常に気に入ったらしく、還俗する様子もない。しかし一方、ここ10年においては、著名な僧にマネーロンダリングの疑惑がかかったり、高級車どころか自家用飛行機まで所有する、いわゆる破戒僧も登場してきた。この4年間の空白も、推挙された僧正の兄弟弟子がその様な破戒僧張本人であったため、任命が差し止めとなっていたのがその原因である。

これまでの任命制度は、タイ仏教界の最高意思決定機関であるサンガ最高評議会が大僧正を選出し、首相が国王陛下へ上奏するというものであったが、政府が関与すれば政治関連案件ともなり得るため、今回は現プラユット首相自ら主導権を執り、国王陛下が前記最高評議会の高僧から直接選出する形に移行したものである。

大僧正に選ばれたマハー・ムニーウォン僧は評議会中で2番目の高齢。タイ西部ラチャブリ県生まれで、タマ ユット派に所属する。インドのバラナシ・ ヒンドゥー大学にて考古学 の修士号を取得している。私も一度当大学のキャンパスを訪れたことがあるが、大河ガンジスのほとりにあり、静謐でかなり大きな敷地内にヒンドゥー教関連の由緒ある博物館も併設されている。私自身は無宗教な人間でありながら、宗教美術を鑑賞したりインドの各地方にある大寺院を相当数訪れ、寺院やそこで祈る人たち、それは巡礼者やサドゥーと呼ばれる聖者であったりもするのだが、彼らを眺め、信仰について思索を巡らせるのが趣味という変わった人種でもある。バラナシのガンジス河岸で信仰の儀式を行うサドゥーの傍らで、そのふるまいをただ眺めて悦に入ることもある。仏や神の偶像を崇拝するのみでなく、大河や海で体を清め、日の出や日没時の太陽を一斉に崇める。その様な行為を目の当たりにすると、その幸福感はいかばかりであろうかと、無性に羨ましいと感じるのである。

gr

 

 

 

 

 

インド最南端、クマリ・アンマン寺院のある海岸には、インド各地からの巡礼者が絶えない。

タイ南部の洪水被害

年明けより大雨が断続的に降り続け、深刻な洪水の被害が連日報じられている。中部タイでは11月から2月までが乾季であって、この時期は年間で最も雨量の少ない季節なのだが、南タイの東岸、つまりシャム湾側は元々、雨季明けが1月となる。

これまでの被害は、死亡者36名、約40万世帯120万人に膨れ上がっている。1,100校の学校が閉鎖されているという。この状況に対し政府内務省災害防止軽減局が中心となって軍部隊も投入し、救助や被害拡大防止に手を尽くしている。しかし早くとも明日1月19日まで降雨は続くらしい。チュムポン、スラートタニ、ナコンシタマラート、パッタルン、ソンクラーの5県では土砂崩れの危険があるのと注意喚起が発っせられた。現状での被害額は100億~150億バーツ(日本円にして約323億~484億)と推計されている。

今回の被害は純粋に大雨による自然災害だが、元よりタイの国土の大きな部分が低湿地帯であり、また歴史的な基幹産業が農業であるということで、各地方都市には「王立灌漑局」の事務所が配されている。バンコクの本局では日本から派遣されるJICA(国際協力機構)専門家等の協力を受け、大局的な調査・報告業務を行っている。また各地方の灌漑局事務所では制度上、洪水の被害予測、通報義務を行うことになっているものの、毎度のことながら今回もその義務を果たしていないために住民被害が拡大したとの批判を受けている。日本的に考えれば、気象庁と灌漑局の間の連携が出来ていない、つまり縦割り行政の被害、という解釈になるのだが、毎日の天気予報さえ市民があてにしている様子はないのだから、連携したところで正確な情報もありはしない、ともいえる。むしろ洪水慣れしている庶民の側がたくましい。水没した自宅の前で、投網にせいを出す若者などはその典型だ。この臨機応変さは見習いたいと思う。

弊社にても南タイ出身の社員がおり、先週、彼女の実家が被害を受け3歳になる息子さんの面倒を見ている親戚の方が南部の実家へ帰ったことで、母は数日息子さん連れで出勤していた。過去に数度報じた2011年のバンコク大洪水時には皆が階上の駐車場や高架の高速道路に押し掛け駐車し、車の被害を何とか避けたのだが、地方ではその様な建物も高速道路も無いのだから、車両は100%水没しているだろう。車両価格は日本の2倍なのだから、庶民にとってこれは大散財に違いない。

常に自然の脅威に晒されても、風にそよぐ葦のごとく柔軟に、しかも逞しく生き抜く東南アジアの人々に、幸あれ!

ws
 
写真: タイ英字紙「ネーション」より

ミス・サイゴン

この誌上で映画評を書くとは私自身思ってもみなかったが、素晴らしい作品と感じたので、コラムの趣旨とそぐわないのを承知でご紹介させていただく。

まずはタイの映画業界についてだが、タイの若者にとっての重要な娯楽の一つであり、食事と映画というのが多くのカップルが選ぶデートコースとなっている、入場料が安い(メインは500~600円、3D/4D等特殊なスクリーンで1,000~1,200円程度)こともあり概ね盛況である。現在映画館チェーンのトップであるメジャー・シネプレックスは自社開発のビル(多くのレストラン、ボーリング場、カラオケルーム、ファッションその他若者向けの小売店が併設)および大型ショッピング・センターに入居するかたちで、バンコク首都圏に30の拠点、それぞれにスクリーンが10~15幕稼働しているのだから、その市場規模には目を見張るものがある。このスケール・メリットが生かされ、ハリウッド他の新着映画は、米国とほぼ同時封切りだ。従って我々が日本の予告CFを見て作品に興味を抱いても、タイでの上映は2~3か月前に終わっている。洋画はタイ語吹き替えおよび英語オリジナル+タイ語字幕から選択できる。

さて、この作品「ミス・サイゴン」はご存知の通り英国ウェストエンドで25年前に生まれた超スタンダードなミュージカルである。以来ブロードウェイや日本でも現在まで繰り返し演じられ、ミュージカル作品に与えられる代表的な賞、ローレンス・オリヴィエ賞、トニー賞においても複数回賞を受けている。

先日、当地は連休でもあり、暇に任せて上記映画館のWEBサイトを見ていてこの題名が目に留まった。有名なミュージカルであるとは認識していたが、映画化された話は全く知らなかった。さらに検索すると、映画化されたこの作品は、現在東京の1館だけでプレビュー上映されているという。それでも私は、脚本から練り直した映画作品なのだろうと想像していたのだが、いざ見てみるとそれは舞台そのものを映画用に撮影した、いわばミュージカル・ライブ映像なのでる。昔のハリウッドで一時期ミュージカル映画というものが流行り、有名なものは私も鑑賞しているが、あれらはミュージカル形式のハリウッド映画というもので、舞台そのものを全編撮影した映画などはかつて無いのではないだろうか。前編、休憩5分後に後編、さらに10分休憩後に、25年前の主役俳優3名を交えたフィナーレまで、3時間以上に亘る長編となっている。当然だがまるで劇場でミュージカルを鑑賞している様だ。機会があれば本物の舞台を是非見たいものだ。

ストーリーは至ってシンプルで、米国の軍属としてベトナムへ駐留していた若者クリスと、戦火で焼け出され、17歳で止む無く米軍兵向けの売春クラブのダンサーとなったばかりのキムが出会い恋に落ちる。クリスは共に暮らそうと語る。その後キムの両親が決めていた婚約者トゥイがキムを迎えに来るが、キムは両親亡き後この婚約は無効だと言って従わず、しかもトゥイは米国と敵対するベトナム人民軍に所属しているため激高し、クリスとトゥイは銃を向け合うが結局トゥイは二人に罵声を浴びせ出てゆく。クリスはキムを米国に連れてゆくと約束をするが、ほど無い1975年4月30日、サイゴン陥落の日を迎え、クリスとキムは引き放されてしまう。ここは数々のルポルタージュや記事で報道された、米国大使館から最後のヘリが飛び立ち、門前に多くのベトナム人が押し掛け出国を望み泣き叫ぶというシーンである。

3年後、いつかクリスが迎えに来ると信じているキムが、バンコクでクリスと再会するのだが、クリスはエレンという米国人の妻を帯同しており、一方キムはクリスとの間に授かった息子タムを育てていた。
そしてクリス夫妻が話し合いの末タムを米国で育てると決心し、キムはその実現の障害になるであろう自らの命を絶つ。クリスは亡骸を、最初に出会った夜の様に抱き、クリスの絶叫で幕は下りる。
この様にストレートで単純な悲恋ストーリーだが、名作とは常にそういうものだと思う。キム役の女優、イーヴァ・ノブルゼイダの澄んでいてしかも力強い歌声が、今も耳に残っている。