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「海外移住で体験したこと考えた事。三十年で出会ったもの」
東南アジアで着実に発展してきたタイ。この激動の時代三十年を起業家として生きた著者の、七転八倒の人生を伝えたい。ビジネスやプライベートで出会った人や家族、市民を従わせる者としか考えない官僚たち、ルール無用の商売人たち、偶然出会ってしまった事故や事件、経験を通し考察したこの国の社会、歴史まで。
著者: 小川邦弘
日本税理士合同事務所タイランド ogawa@nihon-zeirishi-cooperate.com

国王陛下崩御 その後

国王陛下の崩御

報じられている通り11月13日午後、タイ国王プミポン・アドゥンヤデート陛下が崩御された。ご崩御翌日は服喪に伏すとして政府関係機関はすべて休日となったが、その後どの様な事態になってしまうのかと心配していた我々の予想に反し、ビジネスや市民の生活には全く支障がなく、一般国民の服喪期間とされていた1か月が過ぎた。その期間、つまり先週末まで市民の服装はほぼすべて黒一色であったが、今現在はほぼ半数といったところだ。

 政府はパーティーや展示会等のイベント自粛、そして購買欲の低下による経済の停滞を慮り、服喪明け当日と重なった「ローイクラトン(精霊流し)」を迎えるにあたり、各知事宛て「娯楽活動を認める」という異例の通達を発している。中進国の罠と言われる〝人件費高騰″〝人手不足″〝少子高齢化″を迎えている状況を認識したと思われるこの様な政策配慮が、最早国体の根幹に関わる事態を迎えてもなお揺るがない、正に発展途上国を脱したという現実を見せられた思いだ。
 ここ数年繰り返されている政争を、実際にはポピュリズムと選挙票の買収であったにしても、100歩譲って「近代化に於けるエスタブリッシュメント層への挑戦」と考えたとしよう。その様な歴史上の転換期には、行き過ぎがあれば必ずバックラッシュが起こるものである。未だこの国家はこの政争を解消するに至っていないが、次々と訪れるそれぞれの場面での意思決定は、非常に冷静で足腰の強固な体制であることを感じさせるに十分なものである。

 去る8月7日、国民投票により賛否両論のあった新憲法草案が承認され、国王陛下の承認を待つというタイミングでこのような事態を迎え、現在新国王の即位を待ち憲法承認を得なければならない、という微妙な状態にある。草案は90日以内に承認され、その後60日以内に「国家評議会(NLD)」による関連法の審議を終了させる必要がある。NLDとしては焦燥感を抱いている様だが、草案自体に関しては事実上敵対勢力も支持しているのであるから、問題なく進展するであろう。

 現政権の次のハードルは間違いなく、2017年6月に予定されている総選挙となる。票の買収を阻止する手立てを未だ持てぬ現政権側は、改めて防戦側に立つ運命にある。その予防策として、新憲法により政府首班(つまり首相)の選出を与党以外から行うことが出来るという道を開いた訳だが、制度上は民主主義の根幹たる選挙の結果をゆがめる形での首相選出をどう強行しようと考えているのか、たとえ選挙の実態が民主的で無いというのが現実であっても、かなりの困難が予想される。一方反政権側(所謂親タクシン派)も、過去の政変騒動の過程で一線級、二線級の政治家の殆どが日本で云う公民権停止状態であり、さらに傀儡政権を託された実妹インラック・シンナワットは現政権から、首相時代の職務怠慢により国家財政に大きな損失を与えた罪により357億バーツの損害賠償命令を受けすでに政治家としては死に体である。

 結果がどちらに転ぼうが、ビジネスに大きな損害を及ぼす様な騒乱だけは避けて欲しいというのが、特に都市圏市民の願いではなかろうか。
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雨水のマネージメント

2011年にバンコクを含む中部タイを襲った大洪水で

私も一時地方へ避難していたのはまだ新しい記憶として残っている。結果的に私の職場や居住している地域は無事であったのだが、何しろ一般の物価に比して高額なのが車(価格は日本の2倍)なので、水没を恐れて皆階上の駐車スペースを奪い合った。その結果職場であるビルの駐車場も外部からの車で9フロアすべてが満車、何と首都高速の中まで駐車スペースとなったのだ。おまけに輸送路が断たれたためスーパーやコンビニからミネラルウォーターが姿を消し、ついでに安価な価格帯のビールまで無くなった。(つまり輸入飲料水「エビアン」やプレミアム・ブランドのビールだけが残っていた)私は避難先の地方でコンビニを見つける度に売れ残っている飲料水を買い集め車のトランクに放り込んだ。

その後、被害に遭った工業団地などは洪水対策(盛り土や防水壁の設置)を施しあれから大きな被害は出ていないが、何しろ東南アジアの集中豪雨時雨量は全く温帯気候の比ではなく、地方ではこの時期、必ずどこかしらで洪水被害を被っている。

近年の傾向として、雨季である5~10月通期としては雨量が少ないが、今年のピーク(9月から10月)の雨量は目立って多く、車のワイパーなど全く役に立たない程の豪雨が繰り返しやってくるという状態だ。最近のニュースでは、北タイからの雨水で、灌漑の大きな役目も果たしているダムの貯水量が極端に増え、代表的なプミポン・ダムやシリキット・ダムからはそれぞれ1日100万㎥が放水され、さらに本日チャイナ―ト県のチャオプラヤ・ダムでは今月後半の降雨に備え、毎秒2,000㎥の放水増量の準備が開始されたと云う。元より地勢上、ネパール、インド、中国南部方面から、地中に吸収されなかった雨水はバングラデシュのガンジス河河口か、メコン川経由でタイのチャオプラヤ川河口、あるいはベトナムのメコン・デルタから海へ流れ落ちる以外の経路はないのである。通り道となる国においては、この雨水をどうコントロールするかを試されているという訳だ。すでに中部4県、アントン、スパンブリ、ロッブリー、アユタヤの一部は被害を受けており、今後も水没地域は広がると推測されている。
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写真:タイ英字紙「ネーション」より

5年前の大洪水は、マネージメントの要であったそれぞれのダムが連携せず、同時に大放水を行ってしまったという人災の側面もあった。さらにバンコクの北方にある水路の各ポイントで水門の開閉によりバンコクの首都機能を維持するため雨水を東西の水路に誘導している筈が、あまりの流量にコントロールしきれなかった。又は水門近くの住民が「我々ばかりが洪水被害を被るのは不公平だ」ということで暴動まがいの事態も散発し、それに抗しきれなかった灌漑局の役人が水門を開けてしまったりと、日本とは逆の〝水喧嘩″も起こった。

人は自然災害に対してかくも弱いものであるが、生活困難に陥る人々を如何に減らしてゆくのか、歴史上で綿々と続く大きな課題である。

現代の米騒動

2006年、クーデターにより政界から追われ、刑事犯罪人として海外での逃亡生活を強いられているタクシン・シナワット、10年を経た現在も大きな影響力を維持し、何かとタイ政界をにぎわせている。政権を奪われた後しばらくは、対抗勢力であった民主党が政権の座にあったが、2011年の総選挙においてタクシン派政党「タイ貢献党」が返り咲き、実妹のインラック・シナワットが首相に就任した。それまでのインラックは、これも兄から譲り受けたSCアセットという住宅デベロッパーの社長という地位にあり、政治には全く縁のない人生であった。従ってこれは誰が見ても紛れも無いタクシン傀儡政権である。

 その政権が行った大きな政策は、彼らの(というよりタクシンの)お家芸であるバラマキ政策の一つ、農民からのコメ買取であった。農民からの選挙票集めのため、当時の政府が市場相場を大きく上回る価格で大量のコメを買い上げる政策を2011年10月に開始したものの、国際市場価格の下落も相まって大量の在庫を抱えることとなった。2013年9月までに損失額は3,900億バーツ(当時の為替レートで1兆2324億円)に膨れ上がり、翌年2014年までに政府は実に1,550万トンの在庫を抱える(当時の見通し)事態となった。これに伴い、買取実施を行う国営タイ農業・農業協同組合銀行は、運転資金が底をつき資金枠は5,000億バーツから6,400億バーツに引き上げられた。つまり超多額の税金を選挙票獲得の為に雲散霧消させたということだ。税金を利用し多額の個人資産や票を獲得するという手法はタクシンの常套手段、と言うより最早生き方そのものではないだろうか。そもそも彼は警察官僚として出世し、その経験と人脈により、警察へのITシステム導入でビジネスマンとしての第一歩を築いた。そして何より彼の巨万の富は、政府の裁量権に大きく左右される通信事業に於いて、当時首相であった彼が、同時にビジネスマンであるという利点を最大に生かし、アドバンスト・インフォメーション・サービスという彼の所有する企業をタイの独占的通信企業とし、後にシンガポール企業に売却したことで築かれた。また彼は、関わる全ての案件から(一説に依れば災害時の死体袋まで)執拗に個人の利益を追求していた、というのが専らの噂であった。

 その後の紆余曲折を経て、インラックは現軍事政権からコメ買取政策に於いて「職務怠慢により大きく財政に損害を与えた」として現在357億バーツの損害賠償請求を受けている。彼女は今も、現政権の「手法」に対し様々な反論を試みてはいるが、罪の本質である「損害」に対しては、当然言及する術を持たない。政権は法執行局に対し、彼女の個人資産を行政命令により接収する意向だとされている。
 またその判決の前哨戦ということなのか現政権はブーンソン・テリヤブロム元商務相および当時の高官5名に対し別途コメ疑惑を追求している。政府のコメを中国政府へ売却したものと装い、実際には政府でなく中国企業に輸出し、巨額のキックバックを得ていたとされている。こちらは現政権から200億バーツの賠償請求命令を受け、やはりその命令が不公平、非合法であると(インラックと同様の主張)して反論し、刑事及び民事の両面で訴訟を起こすなどと主張しているが、何が何に対しどう不公平であるのか、またはどの様な法律に照らし非合法であるのかは報じられていない。ただの苦し紛れの言い分であって、根拠は無いのであろう。

 タイ居住者および納税者である身(しかし選挙権は無いが)として、彼らの様な過去の亡霊からは早々に開放され、国民の分裂状態が解消される日を心待ちにしている。

タイの憲法改正・政権の行方

去る8月7日、憲法改正の是非を問う国民投票が実施された。
 直前までの予想では、現政権と対立する勢力である親タクシン派(政党はプア・タイ゛タイのために″の意)はもちろん、最大野党である民主党の党首までが「内容に非民主的要素がある」ということで反対の意思を表明していたことから、私も「これはすでに四面楚歌状態」と考えていた。
 しかし蓋を開けてみれば、何と61%の支持を得てこの案は可決されたのである。この結果に対し各メディアは、「政治騒乱を鎮圧し、国家の平和を維持してきた現軍事政権を過半数の国民が支持した結果」と報じているが、本当にそうだろうか?
 農民(特に大票田の東北地方において)に対する無茶なばらまきや票の買収で、これまで選挙戦では常に優位であった親タクシン派にしたところで、本音はどうであろう。国際常識的には、国民投票というものは為政者が政権を賭して国民に信を問うためのシステムであるのだから、当たり前には否決なら政権交代が必至となる。しかし現政権のプラユット首相はこの世界の常識を知ってか知らずか「否決されたらまた新改正案を練れば良い」と豪語していたのだ。これでは反政権派にとっては、自らの主張通り否決を勝ち取れば、総選挙までの日程をさらに長引かせ、現政権が居座ることに協力する結果を招くのだ。誰よりも票集めには圧倒的な力を維持していると見られる同派が待ち望むのは総選挙である。ここは建前と本音を使い分けたとしても不思議ではない。
 また、そもそも論に立ち返れば、この国には権力闘争が民主主義という皮をかぶって行われているだけであって、本来の意味の議会制民主主義は存在したことが無い。これが日本を含めた海外メディアが常に事実を見誤ってしまう原因なのだが、そこには国家の成立からこれまでの歴史のなかでどう民族が移動し、勢力を育んできたか、というところに鍵がある。
 第一は中国南部雲南から南下したタイ族、この中で勢力を結集した者たちが大河に沿って歴代王朝を築きながら現在のバンコクまで下ってきた。かつて「生活ソング」で一世を風靡したバンド、「カラバオ」の「メイド・イン・タイランド」という歌の中で「チェンマイ、スコータイ、ロッブリ、アユッタヤー、トンブリ」とその流れを歌っていた。ただこの歌の主張するところは「こんなに素晴らしい歴史を持つタイなのに、今メイド・イン・タイランドと言えるものはなんだろう」と世間に疑問を投げかけるものであった。「生活ソング」の人気は根強いものがあり、地方都市へ行けばログハウス調のオープン・パブが必ずと言っていいほどあり、このジャンルの生バンドが出演し綿々と受け継がれている。それはいい。この人たちは官僚、軍隊、警察の中で一定の勢力を持ち続けていると言われている。
 第二は、中国が貧しかった時代、潮州(現在の広州方面)から移住し、肉体労働者(クーリー、苦力)から身を起こし、やがて大きなビジネスを起こす者も珍しくなかった、現在タイで一般的に華僑と呼ばれる人たちの多くを占める者のルーツである。財閥企業の創業者もこのグループ出身の者が多い。
 第三は「客家」と呼ばれる民族、商売が巧妙で、他の華人から常に「客」つまりよそ者扱いされるというのがその語源と言われる。タクシン家はまさにこの客家出身である。苦行などはせずに高学歴で、官僚として力を蓄え、その地位を利用し莫大な資産を築き上げた。
 これらの勢力が覇を競いながら、また一面ではタイ人として融合し同化し、形作られているのがタイ社会であって、これまで長く続く政治騒乱もこれら三派の争いだとも云える。「出生地主義」つまりタイ国で生まれた者はタイ人である、として教育を受け成人する、この同化政策がタイ社会に資した影響は非常に大きく、この争いが表面化する以前は優秀な官僚たちに率いられた政治的安定を誇っていた国であったはずだ。この独特な政治文化をを新参者のタクシン派が、偏った利益供与を背景としたポピュリズムを「民主主義」と偽り破壊した、というのがすべての始まりだった。

緩やかな階級社会

私が新規進出企業の方へのアドバイスでもよく口にし、おそらくこのコラムでも何遍も触れている話題である、タイの階級社会について述べたい。

 タイへいらしたことのある方の殆どは、「敬虔な仏教徒であって微笑みを絶やさない、穏やかな人たち」という印象をお持ちだろう。これは私も実感していることであって、随分と長居することになった大きな理由であろうと思う。
 好印象に水を差すような話題で恐縮ではあるが、この社会の本質的な部分においては、東南アジアの国々の中でも中世からの階級社会が最も色濃く残っている弱肉強食の世界、という一面がある。
 歴史を紐解けば、近頃はほぼ話題にも上らなくなった日本の被差別部落も、インドを発祥とした身分制度の影響であると言われている。タイ社会の基層をなすものも仏教とともに直接受け入れたインド文化そのものである。もちろん言語にしてもサンスクリットを源としている。
 そもそも階級制度とは職能集団という側面があり、所謂ホワイトカラーで知識層に当たる人たちは、特に公共の場では絶対に掃除はしない。我々の様に教育の一環として生徒が学校の清掃をするなどということは考えられない。もちろん職場でも同様である。その様な仕事は、ビル管理会社から派遣されるか、あるいは個人的に請け負った清掃員が行う。しかし表面的に上の物が下の者を蔑む態度はあまりなく、あくまで暗黙の了解ということになっている。もし進出したての日系企業の役員が日本式の社員教育ということでトイレや社内の清掃を強制すれば、全員が即刻辞職するであろうし、まず自分が率先して掃除をすれば、「ああこの方はその様な階層の出身なのだろう」と解釈される。
 実例として、清掃ではないが経理事務要員として雇用した社員に事務用品のお使いを頼んだら、翌日から出社しなかったという経験をした中小企業の社長さんもおられる。

 では初対面のタイ人どうしが、相手の階級をどうやって見分けるのか、これは服装、髪型という風采と言葉遣いである。確かに長いことこの社会で暮らしていれば、タイ語の言葉の選び方、発音やイントネーションは教育レベルに準じかなりの違いがある、ということが分かってくる。そして皆、緩やかながら自らの態度を判断して決める。ハイソな方たちは、親子の会話も完全な敬語使いである。私自身も、外へ出ればできるだけ言葉を選んで会話をしてはいるのだが、さすがにこの家族内での敬語会話には馴染めない。タイ語会話の教科書には、子供が学校へ行く時にも、両親に手を合わせて挨拶するというストーリーがある。私は息子にこの様な教育をしてこなかった。
 例えば実験としてデパートの同じ売り場へ、きちんとした服装と、ぞんざいな服装とで行き、店員さんに話しかけてみよう。我々はアウト・カーストであるから、まさに服装によって身分を判断される。同じ店員さんに全く違う態度を示されること請け合いである。
 政治行政の現場では、政治騒乱を首謀し「この国を焼き払え!」と従う大衆に訴え、その結果大ショッピングセンターを含めたビルがいくつも放火の被害に遭い、その首謀者は騒乱鎮圧後一旦は軍の施設に拘束され取調べを受けた。しかしその後、刑に服する訳でもなく次期選挙を経て何と商務省副大臣に就任した。これに類似したことは日常茶飯で、貴族と言われる人たちにとっては立憲主義も法治国家も敵味方も関係なく何でもありの世界なのである。弱肉強食の典型例ではないか。