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「海外移住で体験したこと考えた事。三十年で出会ったもの」
東南アジアで着実に発展してきたタイ。この激動の時代三十年を起業家として生きた著者の、七転八倒の人生を伝えたい。ビジネスやプライベートで出会った人や家族、市民を従わせる者としか考えない官僚たち、ルール無用の商売人たち、偶然出会ってしまった事故や事件、経験を通し考察したこの国の社会、歴史まで。
著者: 小川邦弘
日本税理士合同事務所タイランド ogawa@nihon-zeirishi-cooperate.com

現代の米騒動

2006年、クーデターにより政界から追われ、刑事犯罪人として海外での逃亡生活を強いられているタクシン・シナワット、10年を経た現在も大きな影響力を維持し、何かとタイ政界をにぎわせている。政権を奪われた後しばらくは、対抗勢力であった民主党が政権の座にあったが、2011年の総選挙においてタクシン派政党「タイ貢献党」が返り咲き、実妹のインラック・シナワットが首相に就任した。それまでのインラックは、これも兄から譲り受けたSCアセットという住宅デベロッパーの社長という地位にあり、政治には全く縁のない人生であった。従ってこれは誰が見ても紛れも無いタクシン傀儡政権である。

 その政権が行った大きな政策は、彼らの(というよりタクシンの)お家芸であるバラマキ政策の一つ、農民からのコメ買取であった。農民からの選挙票集めのため、当時の政府が市場相場を大きく上回る価格で大量のコメを買い上げる政策を2011年10月に開始したものの、国際市場価格の下落も相まって大量の在庫を抱えることとなった。2013年9月までに損失額は3,900億バーツ(当時の為替レートで1兆2324億円)に膨れ上がり、翌年2014年までに政府は実に1,550万トンの在庫を抱える(当時の見通し)事態となった。これに伴い、買取実施を行う国営タイ農業・農業協同組合銀行は、運転資金が底をつき資金枠は5,000億バーツから6,400億バーツに引き上げられた。つまり超多額の税金を選挙票獲得の為に雲散霧消させたということだ。税金を利用し多額の個人資産や票を獲得するという手法はタクシンの常套手段、と言うより最早生き方そのものではないだろうか。そもそも彼は警察官僚として出世し、その経験と人脈により、警察へのITシステム導入でビジネスマンとしての第一歩を築いた。そして何より彼の巨万の富は、政府の裁量権に大きく左右される通信事業に於いて、当時首相であった彼が、同時にビジネスマンであるという利点を最大に生かし、アドバンスト・インフォメーション・サービスという彼の所有する企業をタイの独占的通信企業とし、後にシンガポール企業に売却したことで築かれた。また彼は、関わる全ての案件から(一説に依れば災害時の死体袋まで)執拗に個人の利益を追求していた、というのが専らの噂であった。

 その後の紆余曲折を経て、インラックは現軍事政権からコメ買取政策に於いて「職務怠慢により大きく財政に損害を与えた」として現在357億バーツの損害賠償請求を受けている。彼女は今も、現政権の「手法」に対し様々な反論を試みてはいるが、罪の本質である「損害」に対しては、当然言及する術を持たない。政権は法執行局に対し、彼女の個人資産を行政命令により接収する意向だとされている。
 またその判決の前哨戦ということなのか現政権はブーンソン・テリヤブロム元商務相および当時の高官5名に対し別途コメ疑惑を追求している。政府のコメを中国政府へ売却したものと装い、実際には政府でなく中国企業に輸出し、巨額のキックバックを得ていたとされている。こちらは現政権から200億バーツの賠償請求命令を受け、やはりその命令が不公平、非合法であると(インラックと同様の主張)して反論し、刑事及び民事の両面で訴訟を起こすなどと主張しているが、何が何に対しどう不公平であるのか、またはどの様な法律に照らし非合法であるのかは報じられていない。ただの苦し紛れの言い分であって、根拠は無いのであろう。

 タイ居住者および納税者である身(しかし選挙権は無いが)として、彼らの様な過去の亡霊からは早々に開放され、国民の分裂状態が解消される日を心待ちにしている。

タイの憲法改正・政権の行方

去る8月7日、憲法改正の是非を問う国民投票が実施された。
 直前までの予想では、現政権と対立する勢力である親タクシン派(政党はプア・タイ゛タイのために″の意)はもちろん、最大野党である民主党の党首までが「内容に非民主的要素がある」ということで反対の意思を表明していたことから、私も「これはすでに四面楚歌状態」と考えていた。
 しかし蓋を開けてみれば、何と61%の支持を得てこの案は可決されたのである。この結果に対し各メディアは、「政治騒乱を鎮圧し、国家の平和を維持してきた現軍事政権を過半数の国民が支持した結果」と報じているが、本当にそうだろうか?
 農民(特に大票田の東北地方において)に対する無茶なばらまきや票の買収で、これまで選挙戦では常に優位であった親タクシン派にしたところで、本音はどうであろう。国際常識的には、国民投票というものは為政者が政権を賭して国民に信を問うためのシステムであるのだから、当たり前には否決なら政権交代が必至となる。しかし現政権のプラユット首相はこの世界の常識を知ってか知らずか「否決されたらまた新改正案を練れば良い」と豪語していたのだ。これでは反政権派にとっては、自らの主張通り否決を勝ち取れば、総選挙までの日程をさらに長引かせ、現政権が居座ることに協力する結果を招くのだ。誰よりも票集めには圧倒的な力を維持していると見られる同派が待ち望むのは総選挙である。ここは建前と本音を使い分けたとしても不思議ではない。
 また、そもそも論に立ち返れば、この国には権力闘争が民主主義という皮をかぶって行われているだけであって、本来の意味の議会制民主主義は存在したことが無い。これが日本を含めた海外メディアが常に事実を見誤ってしまう原因なのだが、そこには国家の成立からこれまでの歴史のなかでどう民族が移動し、勢力を育んできたか、というところに鍵がある。
 第一は中国南部雲南から南下したタイ族、この中で勢力を結集した者たちが大河に沿って歴代王朝を築きながら現在のバンコクまで下ってきた。かつて「生活ソング」で一世を風靡したバンド、「カラバオ」の「メイド・イン・タイランド」という歌の中で「チェンマイ、スコータイ、ロッブリ、アユッタヤー、トンブリ」とその流れを歌っていた。ただこの歌の主張するところは「こんなに素晴らしい歴史を持つタイなのに、今メイド・イン・タイランドと言えるものはなんだろう」と世間に疑問を投げかけるものであった。「生活ソング」の人気は根強いものがあり、地方都市へ行けばログハウス調のオープン・パブが必ずと言っていいほどあり、このジャンルの生バンドが出演し綿々と受け継がれている。それはいい。この人たちは官僚、軍隊、警察の中で一定の勢力を持ち続けていると言われている。
 第二は、中国が貧しかった時代、潮州(現在の広州方面)から移住し、肉体労働者(クーリー、苦力)から身を起こし、やがて大きなビジネスを起こす者も珍しくなかった、現在タイで一般的に華僑と呼ばれる人たちの多くを占める者のルーツである。財閥企業の創業者もこのグループ出身の者が多い。
 第三は「客家」と呼ばれる民族、商売が巧妙で、他の華人から常に「客」つまりよそ者扱いされるというのがその語源と言われる。タクシン家はまさにこの客家出身である。苦行などはせずに高学歴で、官僚として力を蓄え、その地位を利用し莫大な資産を築き上げた。
 これらの勢力が覇を競いながら、また一面ではタイ人として融合し同化し、形作られているのがタイ社会であって、これまで長く続く政治騒乱もこれら三派の争いだとも云える。「出生地主義」つまりタイ国で生まれた者はタイ人である、として教育を受け成人する、この同化政策がタイ社会に資した影響は非常に大きく、この争いが表面化する以前は優秀な官僚たちに率いられた政治的安定を誇っていた国であったはずだ。この独特な政治文化をを新参者のタクシン派が、偏った利益供与を背景としたポピュリズムを「民主主義」と偽り破壊した、というのがすべての始まりだった。

緩やかな階級社会

私が新規進出企業の方へのアドバイスでもよく口にし、おそらくこのコラムでも何遍も触れている話題である、タイの階級社会について述べたい。

 タイへいらしたことのある方の殆どは、「敬虔な仏教徒であって微笑みを絶やさない、穏やかな人たち」という印象をお持ちだろう。これは私も実感していることであって、随分と長居することになった大きな理由であろうと思う。
 好印象に水を差すような話題で恐縮ではあるが、この社会の本質的な部分においては、東南アジアの国々の中でも中世からの階級社会が最も色濃く残っている弱肉強食の世界、という一面がある。
 歴史を紐解けば、近頃はほぼ話題にも上らなくなった日本の被差別部落も、インドを発祥とした身分制度の影響であると言われている。タイ社会の基層をなすものも仏教とともに直接受け入れたインド文化そのものである。もちろん言語にしてもサンスクリットを源としている。
 そもそも階級制度とは職能集団という側面があり、所謂ホワイトカラーで知識層に当たる人たちは、特に公共の場では絶対に掃除はしない。我々の様に教育の一環として生徒が学校の清掃をするなどということは考えられない。もちろん職場でも同様である。その様な仕事は、ビル管理会社から派遣されるか、あるいは個人的に請け負った清掃員が行う。しかし表面的に上の物が下の者を蔑む態度はあまりなく、あくまで暗黙の了解ということになっている。もし進出したての日系企業の役員が日本式の社員教育ということでトイレや社内の清掃を強制すれば、全員が即刻辞職するであろうし、まず自分が率先して掃除をすれば、「ああこの方はその様な階層の出身なのだろう」と解釈される。
 実例として、清掃ではないが経理事務要員として雇用した社員に事務用品のお使いを頼んだら、翌日から出社しなかったという経験をした中小企業の社長さんもおられる。

 では初対面のタイ人どうしが、相手の階級をどうやって見分けるのか、これは服装、髪型という風采と言葉遣いである。確かに長いことこの社会で暮らしていれば、タイ語の言葉の選び方、発音やイントネーションは教育レベルに準じかなりの違いがある、ということが分かってくる。そして皆、緩やかながら自らの態度を判断して決める。ハイソな方たちは、親子の会話も完全な敬語使いである。私自身も、外へ出ればできるだけ言葉を選んで会話をしてはいるのだが、さすがにこの家族内での敬語会話には馴染めない。タイ語会話の教科書には、子供が学校へ行く時にも、両親に手を合わせて挨拶するというストーリーがある。私は息子にこの様な教育をしてこなかった。
 例えば実験としてデパートの同じ売り場へ、きちんとした服装と、ぞんざいな服装とで行き、店員さんに話しかけてみよう。我々はアウト・カーストであるから、まさに服装によって身分を判断される。同じ店員さんに全く違う態度を示されること請け合いである。
 政治行政の現場では、政治騒乱を首謀し「この国を焼き払え!」と従う大衆に訴え、その結果大ショッピングセンターを含めたビルがいくつも放火の被害に遭い、その首謀者は騒乱鎮圧後一旦は軍の施設に拘束され取調べを受けた。しかしその後、刑に服する訳でもなく次期選挙を経て何と商務省副大臣に就任した。これに類似したことは日常茶飯で、貴族と言われる人たちにとっては立憲主義も法治国家も敵味方も関係なく何でもありの世界なのである。弱肉強食の典型例ではないか。

マイペンライの不思議

タイで最もよく聞く言葉、それは「マイペンライ」。外国人が初歩タイ語の勉強をすれば必ず最初の頃に出会う言葉でもあろう。マイは否定語、ペンは~である(英語のis)、ライは「何」の意であるアライが縮まったもの。したがって直訳は「なんでもない」なのだが、このことばは色々な意味で使われる。

大丈夫、結構です、気にしない、どういたしまして、等々。よく言われるのが、この言葉がタイの人達のおおらかな国民性を表しているという評価だ。これは誰でも実感できることである。この国の居心地の良さはまさにこのマイペンライな人たちによってもたらされている、と言ってよいだろう。
 ただ、マイペンライな人々の中で気持ち良く生きてゆくには、こちらもマイペンライな人にならなければ、当然不公平ということになる。昨今の日本社会は特に神経質でヒリヒリした人間関係で成り立っているので、マイペンライな社会とは真逆の関係にある。高度に緊張を強いられるビジネスの中では小さな誤りも見過ごすことができない。それをマイペンライな部下や社員、あるいは取引先のスタッフにストレートな指摘をすれば必ずその返答はまさしく「マイペンライ」なのである。元々謝罪すれば許されるというのは日本人固有の美徳であって日本以外の国々では共通して「非常識」である。謝罪したが最後責任を取らされるというのが世界の常識であり、したがって皆、謝らない。ミスを犯した者に詰め寄っても「マイペンライ(大丈夫)、こう軌道修正しましょう」といきなり提案として返って来る。この返答にいきり立って感情的になろうものなら、マイペンライな社会では「心の狭い、下品な人」という烙印を押されるだけのこととなる。

 場面を変えよう。例えば居酒屋でウェイトレスさんの手許が狂い料理の皿がひっくり返り、こちらの服が汚れたと仮定する。ここでもウェイトレスさんの第一声は「マイペンライ」だ。その意味は「拭いてあげるから大丈夫、あるいは料理を作り直してあげるから大丈夫」という悪気のない言葉なのだが、これに腹を立てなくなるには相当の年数を要する。「お前が大丈夫って言うなよ」と思ってしまうのが我々の心理だ。ただしここにはもう一つ、身分制社会という背景があり、一般的に(店のグレードにもよるが)客と店員の間には明らかに身分、つまり収入の大きな差があり、現実に弁償したくともその弁済能力を持たないからこそ現業職に留まっている訳だ。その様な人(大抵は若者)に金銭の弁済を強要するならば、これも「心の狭い、下品な人」と判断される。またグレードを一気に下げ屋台かオープン食堂でこの様な事態になっても、客の服装もぞんざいなものであろうから、これもそもそも「マイペンライ」なのである。

 とはいえ、特にビジネスの場面では、ミスを皆「マイペンライ」で不問にしたのでは組織の成長は見込めない。非常に難しいことではあるが、やはり文化の相互理解、つまり彼らの土俵まで下りてゆき、彼らの側の受け取り方を理解した上での接し方を大人として、理解者として考え、導くことができれば、必ずや互いの成長に結びつくと信じて精進するしかないだろう。

 もう一つ、「嘘」について。当地の人々はミスを指摘されそうになると、即座に一見納得させられそうな言い訳を思いつくという特技を持っており、この言い訳は相当な割合で嘘を含んでいる。これも責めること無かれ。彼ら、彼女らは「自分の立場を有利にするためなら嘘も方便」と、そう態度で示す親に育てられてきたのだ。これは私の目前で展開されてきた紛れもない事実である。

タイの警察

相も変わらず評判の悪いタイ警察の、最近の話題を拾ってみた。
①5月31日付にて発表された人事異動名簿に、すでに死去した警官の名が記載されるなど、ミスが488カ所見つかった。移動対象者は7,849人であったが、ジャカティップ警察長官は「ミスは全体のたった6%だ」と釈明。計算してみると仰ることは正しい様な・・・
②タイ警察は60万錠の覚せい剤を押収した。お手柄である。が、逮捕された4名の内の首謀者は、警察庁麻薬取締課に所属するスチャート警察3等兵曹。同兵曹は犯行を認め、近隣国から密輸した覚醒剤をタイ深南部のマレーシア国境に運んでいた、と供述した。確かに警察車両で運搬すれば最も安全ではある。
③タイ北部ピッサヌローク県で、運転をめぐるトラブルから警官の男3人が地元の大学生男女5人が乗った乗用車に拳銃を発砲し、さらに男子学生に暴行を加えていた。警官は男子学生に拳銃を突き付け暴行した上で同僚の応援を要請。駆けつけた同僚は空に向け拳銃を発砲し威嚇。居合わせた市民が止めようとすると、その市民にも拳銃を突き付けた。たまたま通りがかった制服警官がこの事態を収拾したが、一歩間違えれば銃殺され闇に葬られた可能性もある。のちにこの暴行事件の様子は、他の乗用車の車載カメラで撮影されていた動画がネット上で拡散し、警察への批判が広まった。そして当事者の警官は被害者へ金銭の支払いを申し出たが、当然被害者はこれを拒否し、県警へ被害届を提出した。
④東部チョンブリ県の民家で発砲事件があり、住人の28歳看護助手、50歳の母親、団体職員の男性が銃で頭部などを撃たれ死亡。目撃者によれば、40代の制服警官が住宅に押し入り3人を射殺し、ピックアップに乗り走り去った、という。同日チョンブリ警察曹長のティーラユット容疑者が警察署に出頭し逮捕された。取り調べの結果、容疑者は4年前から被害者の看護助手と不倫関係にあり、訪ねて来た容疑者が被害者の看護助手と団体職員が一緒に寝室にいるのを見つけ、逆上し犯行に及んだといういきさつが判明した。

まあこの様な事件が日常的に報道されているが、一向に是正されることはない。公務員の給与が安いというのが一因と言われているが、まるで国家権力を背負い拳銃と手錠を堂々と装備した暴力団員が、大勢街中を闊歩しているのだから始末に困る。したがって市民の側も警察官を嫌悪しており、出来るだけ関わら無い様に生活するか、カネとコネで警察官を利用し厄介ごとの際に有利な立場を得ようとするかのどちらかだ。
 特に繁華街では、賄賂を払わなければ管轄の警官にあらぬ嫌がらせを受けることが多く、飲食店経営者や屋台主が、日本で云う「みかじめ料」を払っている例も多い。これが警官たちにとっては大きな財源であり、有名な繁華街を有する管轄の警察署に配属して貰える様、これまた警察内での賄賂が飛び交っているとも聞く。

 私自身の経験でも、やむを得ず数分の路上駐車をしようとした際、酷い態度で警官にとがめられ、最後は目の前で手錠をジャラジャラと振りかざし「逮捕されてえかこの野郎!」と脅されたことがある。もちろん若かりし頃の話で、今では年の功で何を言われても甘える様な態度で懐柔するというテクニックを身に着けている。
 政府がいくら綱紀粛正を主張しようと、足元の現実は中々変わるものでは無い。