2006年、クーデターにより政界から追われ、刑事犯罪人として海外での逃亡生活を強いられているタクシン・シナワット、10年を経た現在も大きな影響力を維持し、何かとタイ政界をにぎわせている。政権を奪われた後しばらくは、対抗勢力であった民主党が政権の座にあったが、2011年の総選挙においてタクシン派政党「タイ貢献党」が返り咲き、実妹のインラック・シナワットが首相に就任した。それまでのインラックは、これも兄から譲り受けたSCアセットという住宅デベロッパーの社長という地位にあり、政治には全く縁のない人生であった。従ってこれは誰が見ても紛れも無いタクシン傀儡政権である。
その政権が行った大きな政策は、彼らの(というよりタクシンの)お家芸であるバラマキ政策の一つ、農民からのコメ買取であった。農民からの選挙票集めのため、当時の政府が市場相場を大きく上回る価格で大量のコメを買い上げる政策を2011年10月に開始したものの、国際市場価格の下落も相まって大量の在庫を抱えることとなった。2013年9月までに損失額は3,900億バーツ(当時の為替レートで1兆2324億円)に膨れ上がり、翌年2014年までに政府は実に1,550万トンの在庫を抱える(当時の見通し)事態となった。これに伴い、買取実施を行う国営タイ農業・農業協同組合銀行は、運転資金が底をつき資金枠は5,000億バーツから6,400億バーツに引き上げられた。つまり超多額の税金を選挙票獲得の為に雲散霧消させたということだ。税金を利用し多額の個人資産や票を獲得するという手法はタクシンの常套手段、と言うより最早生き方そのものではないだろうか。そもそも彼は警察官僚として出世し、その経験と人脈により、警察へのITシステム導入でビジネスマンとしての第一歩を築いた。そして何より彼の巨万の富は、政府の裁量権に大きく左右される通信事業に於いて、当時首相であった彼が、同時にビジネスマンであるという利点を最大に生かし、アドバンスト・インフォメーション・サービスという彼の所有する企業をタイの独占的通信企業とし、後にシンガポール企業に売却したことで築かれた。また彼は、関わる全ての案件から(一説に依れば災害時の死体袋まで)執拗に個人の利益を追求していた、というのが専らの噂であった。
その後の紆余曲折を経て、インラックは現軍事政権からコメ買取政策に於いて「職務怠慢により大きく財政に損害を与えた」として現在357億バーツの損害賠償請求を受けている。彼女は今も、現政権の「手法」に対し様々な反論を試みてはいるが、罪の本質である「損害」に対しては、当然言及する術を持たない。政権は法執行局に対し、彼女の個人資産を行政命令により接収する意向だとされている。
またその判決の前哨戦ということなのか現政権はブーンソン・テリヤブロム元商務相および当時の高官5名に対し別途コメ疑惑を追求している。政府のコメを中国政府へ売却したものと装い、実際には政府でなく中国企業に輸出し、巨額のキックバックを得ていたとされている。こちらは現政権から200億バーツの賠償請求命令を受け、やはりその命令が不公平、非合法であると(インラックと同様の主張)して反論し、刑事及び民事の両面で訴訟を起こすなどと主張しているが、何が何に対しどう不公平であるのか、またはどの様な法律に照らし非合法であるのかは報じられていない。ただの苦し紛れの言い分であって、根拠は無いのであろう。
タイ居住者および納税者である身(しかし選挙権は無いが)として、彼らの様な過去の亡霊からは早々に開放され、国民の分裂状態が解消される日を心待ちにしている。