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「海外移住で体験したこと考えた事。三十年で出会ったもの」
東南アジアで着実に発展してきたタイ。この激動の時代三十年を起業家として生きた著者の、七転八倒の人生を伝えたい。ビジネスやプライベートで出会った人や家族、市民を従わせる者としか考えない官僚たち、ルール無用の商売人たち、偶然出会ってしまった事故や事件、経験を通し考察したこの国の社会、歴史まで。
著者: 小川邦弘
日本税理士合同事務所タイランド ogawa@nihon-zeirishi-cooperate.com

第20代大僧正を任命

ワチラロンコン国王陛下が4年間空席であったタイ仏教界の頂点、大僧正に現在89歳のソムデット・プラ・マハー・ムニーウォン僧を任命したと、2月7日付にて報道された。

庶民の殆どが敬虔な仏教徒であり、毎朝托鉢僧に食物をお供物としたり、仏教関連の祭日には欠かさず寺院でのタンブン(徳を積むの意)というお参りをする人は現在も珍しくない。また男性の義務として短期間の総修行を行うことは特に珍しくもない。私の友人である直木賞作家の笹倉先生は、北タイの寺院にて出家し1年ほどになるが、僧侶としての生活が非常に気に入ったらしく、還俗する様子もない。しかし一方、ここ10年においては、著名な僧にマネーロンダリングの疑惑がかかったり、高級車どころか自家用飛行機まで所有する、いわゆる破戒僧も登場してきた。この4年間の空白も、推挙された僧正の兄弟弟子がその様な破戒僧張本人であったため、任命が差し止めとなっていたのがその原因である。

これまでの任命制度は、タイ仏教界の最高意思決定機関であるサンガ最高評議会が大僧正を選出し、首相が国王陛下へ上奏するというものであったが、政府が関与すれば政治関連案件ともなり得るため、今回は現プラユット首相自ら主導権を執り、国王陛下が前記最高評議会の高僧から直接選出する形に移行したものである。

大僧正に選ばれたマハー・ムニーウォン僧は評議会中で2番目の高齢。タイ西部ラチャブリ県生まれで、タマ ユット派に所属する。インドのバラナシ・ ヒンドゥー大学にて考古学 の修士号を取得している。私も一度当大学のキャンパスを訪れたことがあるが、大河ガンジスのほとりにあり、静謐でかなり大きな敷地内にヒンドゥー教関連の由緒ある博物館も併設されている。私自身は無宗教な人間でありながら、宗教美術を鑑賞したりインドの各地方にある大寺院を相当数訪れ、寺院やそこで祈る人たち、それは巡礼者やサドゥーと呼ばれる聖者であったりもするのだが、彼らを眺め、信仰について思索を巡らせるのが趣味という変わった人種でもある。バラナシのガンジス河岸で信仰の儀式を行うサドゥーの傍らで、そのふるまいをただ眺めて悦に入ることもある。仏や神の偶像を崇拝するのみでなく、大河や海で体を清め、日の出や日没時の太陽を一斉に崇める。その様な行為を目の当たりにすると、その幸福感はいかばかりであろうかと、無性に羨ましいと感じるのである。

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インド最南端、クマリ・アンマン寺院のある海岸には、インド各地からの巡礼者が絶えない。

タイ南部の洪水被害

年明けより大雨が断続的に降り続け、深刻な洪水の被害が連日報じられている。中部タイでは11月から2月までが乾季であって、この時期は年間で最も雨量の少ない季節なのだが、南タイの東岸、つまりシャム湾側は元々、雨季明けが1月となる。

これまでの被害は、死亡者36名、約40万世帯120万人に膨れ上がっている。1,100校の学校が閉鎖されているという。この状況に対し政府内務省災害防止軽減局が中心となって軍部隊も投入し、救助や被害拡大防止に手を尽くしている。しかし早くとも明日1月19日まで降雨は続くらしい。チュムポン、スラートタニ、ナコンシタマラート、パッタルン、ソンクラーの5県では土砂崩れの危険があるのと注意喚起が発っせられた。現状での被害額は100億~150億バーツ(日本円にして約323億~484億)と推計されている。

今回の被害は純粋に大雨による自然災害だが、元よりタイの国土の大きな部分が低湿地帯であり、また歴史的な基幹産業が農業であるということで、各地方都市には「王立灌漑局」の事務所が配されている。バンコクの本局では日本から派遣されるJICA(国際協力機構)専門家等の協力を受け、大局的な調査・報告業務を行っている。また各地方の灌漑局事務所では制度上、洪水の被害予測、通報義務を行うことになっているものの、毎度のことながら今回もその義務を果たしていないために住民被害が拡大したとの批判を受けている。日本的に考えれば、気象庁と灌漑局の間の連携が出来ていない、つまり縦割り行政の被害、という解釈になるのだが、毎日の天気予報さえ市民があてにしている様子はないのだから、連携したところで正確な情報もありはしない、ともいえる。むしろ洪水慣れしている庶民の側がたくましい。水没した自宅の前で、投網にせいを出す若者などはその典型だ。この臨機応変さは見習いたいと思う。

弊社にても南タイ出身の社員がおり、先週、彼女の実家が被害を受け3歳になる息子さんの面倒を見ている親戚の方が南部の実家へ帰ったことで、母は数日息子さん連れで出勤していた。過去に数度報じた2011年のバンコク大洪水時には皆が階上の駐車場や高架の高速道路に押し掛け駐車し、車の被害を何とか避けたのだが、地方ではその様な建物も高速道路も無いのだから、車両は100%水没しているだろう。車両価格は日本の2倍なのだから、庶民にとってこれは大散財に違いない。

常に自然の脅威に晒されても、風にそよぐ葦のごとく柔軟に、しかも逞しく生き抜く東南アジアの人々に、幸あれ!

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写真: タイ英字紙「ネーション」より

ミス・サイゴン

この誌上で映画評を書くとは私自身思ってもみなかったが、素晴らしい作品と感じたので、コラムの趣旨とそぐわないのを承知でご紹介させていただく。

まずはタイの映画業界についてだが、タイの若者にとっての重要な娯楽の一つであり、食事と映画というのが多くのカップルが選ぶデートコースとなっている、入場料が安い(メインは500~600円、3D/4D等特殊なスクリーンで1,000~1,200円程度)こともあり概ね盛況である。現在映画館チェーンのトップであるメジャー・シネプレックスは自社開発のビル(多くのレストラン、ボーリング場、カラオケルーム、ファッションその他若者向けの小売店が併設)および大型ショッピング・センターに入居するかたちで、バンコク首都圏に30の拠点、それぞれにスクリーンが10~15幕稼働しているのだから、その市場規模には目を見張るものがある。このスケール・メリットが生かされ、ハリウッド他の新着映画は、米国とほぼ同時封切りだ。従って我々が日本の予告CFを見て作品に興味を抱いても、タイでの上映は2~3か月前に終わっている。洋画はタイ語吹き替えおよび英語オリジナル+タイ語字幕から選択できる。

さて、この作品「ミス・サイゴン」はご存知の通り英国ウェストエンドで25年前に生まれた超スタンダードなミュージカルである。以来ブロードウェイや日本でも現在まで繰り返し演じられ、ミュージカル作品に与えられる代表的な賞、ローレンス・オリヴィエ賞、トニー賞においても複数回賞を受けている。

先日、当地は連休でもあり、暇に任せて上記映画館のWEBサイトを見ていてこの題名が目に留まった。有名なミュージカルであるとは認識していたが、映画化された話は全く知らなかった。さらに検索すると、映画化されたこの作品は、現在東京の1館だけでプレビュー上映されているという。それでも私は、脚本から練り直した映画作品なのだろうと想像していたのだが、いざ見てみるとそれは舞台そのものを映画用に撮影した、いわばミュージカル・ライブ映像なのでる。昔のハリウッドで一時期ミュージカル映画というものが流行り、有名なものは私も鑑賞しているが、あれらはミュージカル形式のハリウッド映画というもので、舞台そのものを全編撮影した映画などはかつて無いのではないだろうか。前編、休憩5分後に後編、さらに10分休憩後に、25年前の主役俳優3名を交えたフィナーレまで、3時間以上に亘る長編となっている。当然だがまるで劇場でミュージカルを鑑賞している様だ。機会があれば本物の舞台を是非見たいものだ。

ストーリーは至ってシンプルで、米国の軍属としてベトナムへ駐留していた若者クリスと、戦火で焼け出され、17歳で止む無く米軍兵向けの売春クラブのダンサーとなったばかりのキムが出会い恋に落ちる。クリスは共に暮らそうと語る。その後キムの両親が決めていた婚約者トゥイがキムを迎えに来るが、キムは両親亡き後この婚約は無効だと言って従わず、しかもトゥイは米国と敵対するベトナム人民軍に所属しているため激高し、クリスとトゥイは銃を向け合うが結局トゥイは二人に罵声を浴びせ出てゆく。クリスはキムを米国に連れてゆくと約束をするが、ほど無い1975年4月30日、サイゴン陥落の日を迎え、クリスとキムは引き放されてしまう。ここは数々のルポルタージュや記事で報道された、米国大使館から最後のヘリが飛び立ち、門前に多くのベトナム人が押し掛け出国を望み泣き叫ぶというシーンである。

3年後、いつかクリスが迎えに来ると信じているキムが、バンコクでクリスと再会するのだが、クリスはエレンという米国人の妻を帯同しており、一方キムはクリスとの間に授かった息子タムを育てていた。
そしてクリス夫妻が話し合いの末タムを米国で育てると決心し、キムはその実現の障害になるであろう自らの命を絶つ。クリスは亡骸を、最初に出会った夜の様に抱き、クリスの絶叫で幕は下りる。
この様にストレートで単純な悲恋ストーリーだが、名作とは常にそういうものだと思う。キム役の女優、イーヴァ・ノブルゼイダの澄んでいてしかも力強い歌声が、今も耳に残っている。

国王陛下崩御 その後

国王陛下の崩御

報じられている通り11月13日午後、タイ国王プミポン・アドゥンヤデート陛下が崩御された。ご崩御翌日は服喪に伏すとして政府関係機関はすべて休日となったが、その後どの様な事態になってしまうのかと心配していた我々の予想に反し、ビジネスや市民の生活には全く支障がなく、一般国民の服喪期間とされていた1か月が過ぎた。その期間、つまり先週末まで市民の服装はほぼすべて黒一色であったが、今現在はほぼ半数といったところだ。

 政府はパーティーや展示会等のイベント自粛、そして購買欲の低下による経済の停滞を慮り、服喪明け当日と重なった「ローイクラトン(精霊流し)」を迎えるにあたり、各知事宛て「娯楽活動を認める」という異例の通達を発している。中進国の罠と言われる〝人件費高騰″〝人手不足″〝少子高齢化″を迎えている状況を認識したと思われるこの様な政策配慮が、最早国体の根幹に関わる事態を迎えてもなお揺るがない、正に発展途上国を脱したという現実を見せられた思いだ。
 ここ数年繰り返されている政争を、実際にはポピュリズムと選挙票の買収であったにしても、100歩譲って「近代化に於けるエスタブリッシュメント層への挑戦」と考えたとしよう。その様な歴史上の転換期には、行き過ぎがあれば必ずバックラッシュが起こるものである。未だこの国家はこの政争を解消するに至っていないが、次々と訪れるそれぞれの場面での意思決定は、非常に冷静で足腰の強固な体制であることを感じさせるに十分なものである。

 去る8月7日、国民投票により賛否両論のあった新憲法草案が承認され、国王陛下の承認を待つというタイミングでこのような事態を迎え、現在新国王の即位を待ち憲法承認を得なければならない、という微妙な状態にある。草案は90日以内に承認され、その後60日以内に「国家評議会(NLD)」による関連法の審議を終了させる必要がある。NLDとしては焦燥感を抱いている様だが、草案自体に関しては事実上敵対勢力も支持しているのであるから、問題なく進展するであろう。

 現政権の次のハードルは間違いなく、2017年6月に予定されている総選挙となる。票の買収を阻止する手立てを未だ持てぬ現政権側は、改めて防戦側に立つ運命にある。その予防策として、新憲法により政府首班(つまり首相)の選出を与党以外から行うことが出来るという道を開いた訳だが、制度上は民主主義の根幹たる選挙の結果をゆがめる形での首相選出をどう強行しようと考えているのか、たとえ選挙の実態が民主的で無いというのが現実であっても、かなりの困難が予想される。一方反政権側(所謂親タクシン派)も、過去の政変騒動の過程で一線級、二線級の政治家の殆どが日本で云う公民権停止状態であり、さらに傀儡政権を託された実妹インラック・シンナワットは現政権から、首相時代の職務怠慢により国家財政に大きな損失を与えた罪により357億バーツの損害賠償命令を受けすでに政治家としては死に体である。

 結果がどちらに転ぼうが、ビジネスに大きな損害を及ぼす様な騒乱だけは避けて欲しいというのが、特に都市圏市民の願いではなかろうか。
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雨水のマネージメント

2011年にバンコクを含む中部タイを襲った大洪水で

私も一時地方へ避難していたのはまだ新しい記憶として残っている。結果的に私の職場や居住している地域は無事であったのだが、何しろ一般の物価に比して高額なのが車(価格は日本の2倍)なので、水没を恐れて皆階上の駐車スペースを奪い合った。その結果職場であるビルの駐車場も外部からの車で9フロアすべてが満車、何と首都高速の中まで駐車スペースとなったのだ。おまけに輸送路が断たれたためスーパーやコンビニからミネラルウォーターが姿を消し、ついでに安価な価格帯のビールまで無くなった。(つまり輸入飲料水「エビアン」やプレミアム・ブランドのビールだけが残っていた)私は避難先の地方でコンビニを見つける度に売れ残っている飲料水を買い集め車のトランクに放り込んだ。

その後、被害に遭った工業団地などは洪水対策(盛り土や防水壁の設置)を施しあれから大きな被害は出ていないが、何しろ東南アジアの集中豪雨時雨量は全く温帯気候の比ではなく、地方ではこの時期、必ずどこかしらで洪水被害を被っている。

近年の傾向として、雨季である5~10月通期としては雨量が少ないが、今年のピーク(9月から10月)の雨量は目立って多く、車のワイパーなど全く役に立たない程の豪雨が繰り返しやってくるという状態だ。最近のニュースでは、北タイからの雨水で、灌漑の大きな役目も果たしているダムの貯水量が極端に増え、代表的なプミポン・ダムやシリキット・ダムからはそれぞれ1日100万㎥が放水され、さらに本日チャイナ―ト県のチャオプラヤ・ダムでは今月後半の降雨に備え、毎秒2,000㎥の放水増量の準備が開始されたと云う。元より地勢上、ネパール、インド、中国南部方面から、地中に吸収されなかった雨水はバングラデシュのガンジス河河口か、メコン川経由でタイのチャオプラヤ川河口、あるいはベトナムのメコン・デルタから海へ流れ落ちる以外の経路はないのである。通り道となる国においては、この雨水をどうコントロールするかを試されているという訳だ。すでに中部4県、アントン、スパンブリ、ロッブリー、アユタヤの一部は被害を受けており、今後も水没地域は広がると推測されている。
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写真:タイ英字紙「ネーション」より

5年前の大洪水は、マネージメントの要であったそれぞれのダムが連携せず、同時に大放水を行ってしまったという人災の側面もあった。さらにバンコクの北方にある水路の各ポイントで水門の開閉によりバンコクの首都機能を維持するため雨水を東西の水路に誘導している筈が、あまりの流量にコントロールしきれなかった。又は水門近くの住民が「我々ばかりが洪水被害を被るのは不公平だ」ということで暴動まがいの事態も散発し、それに抗しきれなかった灌漑局の役人が水門を開けてしまったりと、日本とは逆の〝水喧嘩″も起こった。

人は自然災害に対してかくも弱いものであるが、生活困難に陥る人々を如何に減らしてゆくのか、歴史上で綿々と続く大きな課題である。