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「海外移住で体験したこと考えた事。三十年で出会ったもの」
東南アジアで着実に発展してきたタイ。この激動の時代三十年を起業家として生きた著者の、七転八倒の人生を伝えたい。ビジネスやプライベートで出会った人や家族、市民を従わせる者としか考えない官僚たち、ルール無用の商売人たち、偶然出会ってしまった事故や事件、経験を通し考察したこの国の社会、歴史まで。
著者: 小川邦弘
日本税理士合同事務所タイランド ogawa@nihon-zeirishi-cooperate.com

ヒマラヤ恋し

 東南アジアと南アジアのうち北半球に属する地域では、10月から2月までが乾季、3~5月が酷暑季、6~9月が雨季となる。従ってこの時期は、雨季明け前の豪雨に見舞われながらひたすら雨季明けを待ち望むという季節に当たる。また私にとっては、ヒマラヤの山々が恋しくなる季節でもある。学生時代に偶然サンダル履きで出かけた2泊のトレッキングで見てしまった衝撃の景観が忘れられず、時間に余裕を持てるようになった4年程前より始めた本格的なトレッキングの、最適な季節は11月の雨季明けシーズンなのだ。青い空を背景にくっきりと高峰の勇壮を拝める年に1回きりのチャンスである。これを逃せば冬になってしまい、高地ではマイナス30℃にも達し、体が参ってしまうだろうからだ。

 まず4年前に挑戦したのはランタン・ルート(最高到達点キャンジン・ゴンパ3,680m)から4,380mにある湖ゴサインクンドへのルートだった。世界一美しい谷といわれるランタン谷を経て、5~7,000m級の高峰に囲まれたキャンジン・ゴンパまで到達。そこから下山の予定であったが、自身の体力を把握しておらず、余裕を持たせたスケジュールを立てていた為、逆に4日程時間ができてしまったのである。そこでシェルパ・ガイドと相談し、予定になかったゴサインクンド・ルートへと迂回することとした。

 20年を経て、山のロッジなどは全く別世界ともいえる快適な環境に変わっていたのだが、自然を作り替えることはできないので、危険度が減った訳ではない。レスキュー・ヘリの音は毎日何度でも耳にするので、少なくともこの数以上の遭難者はいる筈だ。高山病か滑落が多くの割合を占めると想像する。実際、岩だらけのとんでもない悪路はどこにでもあり、またゴサインクンドへ向かうルートでは、歩行路の幅50cm、そこから2,000m以上落ち込む崖、という状態が30分ほど続く。一般的にトレッキングという言葉は〝楽しい山歩き″的な想像を誘うが、実際は高峰のピーク・トライをしないだけで、毎日山登りだ。

 2度目のルートは西ネパールのアンナプルナ山群の中心であるアンナプルナ・サンクチュアリ(聖地)と呼ばれるルートを走破した。6~8,000m級の高峰の間を迂回し、激しいアップダウンを繰り返しながら山間をすり抜け、中央部に開けた谷(そこがアンナプルナ・ベースキャンプでありサンクチュアリと呼ばれる)を目指すルートだ。高峰の間を辿るため、目的地に達するまで殆ど開けた景色は無い。つまり苦しいだけ。ところが聖地に達し夜明けを迎えるや「この狭い内院の周囲がそのままドーンドーンとピークの連なりで、まさにアンナプルナ山群に囲まれた唯一の聖地、氷雪の大屏風の中心、サンクチュアリの名の通りなのである」(以上自身のブログより)という景観が現われる。

 その翌年はエベレストと同じクーンブ山群を往くゴーキョ・ルートを目指した。4,680mにある湖(ただし4,000mの森林限界を超えているので生命体は苔位しか存在しない死の湖)の湖畔のロッジで1泊の翌日、5,360mのゴーキョ・ピークを登頂するルートだ。4,000mを超えればすぐに呼吸は困難になり、休息を取りながらゆっくりと登らねばならないのは毎度のことだが、5,000mを超えて発見したのは、酸素不足が運動神経に影響し、足が上がりにくくなる、ということだった。さらにスピードを落とし、たどり着いたピークからはヌプツェ、ローツェそしてその背後から頭を出しているエベレスト、まさに世界の頂点を目の当たりにした。

 残すはヒマラヤのゴールデン・ルート、エベレスト・ベース・キャンプ(最高到達点5,550m)なのだが、トレッキングのみで最低13日はかかる。果たしていつチャンスが訪れるのか・・・

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