最近、当地のニュースで連日報道されている「南タイの人身売買」について解説してみたい。一般的に考える人身売買とは大きく構図が違うので、ニュースを読んだだけでは実態が掴めず、私も疑問だらけであったため、調査を行った結果である。
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海外
海外進出における留意点
年が明けても当地への進出の勢いは全く衰えていない模様だ。弊社も今週仕事始めとなったが、進出相談の依頼は引きも切らない。
当地に限らず海外への進出が初めてという経営者の方にとっては仕方のないことともいえるが、何の相談を誰に持ち掛けるのか、それぞれ先方の守備範囲も理解せぬまま、相談相手が日本人であれば藁をも掴むように頼ってしまいがちの様だ。
例えば法人設立登記、投資委員会の認可申請、物件探しから始まり、後に会計事務所や、輸出入が絡めば通関業者とコンタクトする訳だが、実際は契約やそれぞれの申請手続きのスケジュール検討の段階から会計税務や通関事務(製造業であれば)の正確な情報は必要だ。
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ヒマラヤ恋し
東南アジアと南アジアのうち北半球に属する地域では、10月から2月までが乾季、3~5月が酷暑季、6~9月が雨季となる。従ってこの時期は、雨季明け前の豪雨に見舞われながらひたすら雨季明けを待ち望むという季節に当たる。また私にとっては、ヒマラヤの山々が恋しくなる季節でもある。学生時代に偶然サンダル履きで出かけた2泊のトレッキングで見てしまった衝撃の景観が忘れられず、時間に余裕を持てるようになった4年程前より始めた本格的なトレッキングの、最適な季節は11月の雨季明けシーズンなのだ。青い空を背景にくっきりと高峰の勇壮を拝める年に1回きりのチャンスである。これを逃せば冬になってしまい、高地ではマイナス30℃にも達し、体が参ってしまうだろうからだ。
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尖閣問題の陰で (その2)
その友人Hとは、互いの環境がどう変わろうが、仲違いをして数年間音信不通になろうが、必ずまた連絡を取り合い機会があれば酒を酌み交わし、積もる話が尽きず日付が変わっても延々と飲み続ける、という関係が30年以上続いている。彼が死に瀕している、あるいはすでに・・・という考えが頭を巡り、多忙にて面談や事務仕事を続けてはいたが、心ここにあらず、という2日間が過ぎた。入院先が分からない以上動き様も無い。
しかしその夕刻、バンコクの友人との約束があり待ち合わせをしていた場所にて、4~5年も連絡を取り合っていなかった共通の友人から電話が入った。彼は以前タイと関わるビジネスをしていたことから、直接の関わりもあったのだが、携帯と共に連絡先も紛失したきりなっていたのだ。私は開口一番「Hはどうなったんだ」と叫んだ。「予断を許さない状況だが、すぐにどうなるということではない」との返答に、私は感情を抑えきれず、友人や周辺の客の目を意識する余裕も無く泣き崩れた。「嗚呼、とにかく良かった。準備ができ次第、日本へ発つから病院の場所を教えてくれ」と云い、更に2日後の夜行便でバンコクを発った。
空港から直行した病院は、意外にも小さな規模で少し驚いたが、弱り切ってはいるものの本人は通常の会話ができる状態で私は胸を撫で下ろした。ただし現状では肝硬変をすでに超え、肝機能不全に陥っていること、以前から患っている肺もその影響を受け肺炎を起こし、それが治まらないことには肝機能をカバーするための輸血もできない、とのことで顔色は絵の具を塗りたくった様な黄疸を示している。
そんな病状でありながら、まだビジネス・パートナーであったC女史のことばかり心配する彼に「それは分かるが、とにかく今は自分の身体だけを心配してくれ」とも言ったが、
それなりに落ち着いて世間話もして、夕刻まで病室にいる間には家族や友人が訪れ、彼が寂しがることは無い様だった。
私は限られた日程、つまり2日間だけの滞在であったので翌日も朝から病室を訪れ1日を過ごしたが、午後に看護師長さんが訪れ、病状の説明があった。「一時は合併症すれすれでいつどうなるか全く予測のできない状態だったが、今朝からそれも落ち着き輸血を始めたので、まずはひと山越えた」ということで、同席していた友人もHに「お前、命拾いしたじゃないか」。しかし本人は「え~?一生酒が飲めないの?」と甘えたことを云っていた。
そしてその後も本人には数回電話を入れ、その都度状況を聞いているが、入院時の生存率は何と3%であった、今現在は自宅療養をし身体を動かすことはできるが、肝機能が健常の10%ほどなので、外出もできず、しかもこれ以上の回復は無理だろうとのことだ。
もちろん飲酒過多で身体を壊したのは本人の意思に関わることであるが、これが尖閣という外交問題から派生したことは否定できない。C女史は未だ行方知れず、現地情報によれば同様のケースで自死の道を選んだ経営者は少数では無いと云う。政治問題の陰で犠牲になるのは常に一般市民であり、大局を動かす人たちは必ず蚊帳の外にいるという歴史の常識は、過去に於いても、近いあるいは遠い将来にわたってもこれが覆る可能性はゼロであろう、と再認識を強いられた事件である。
尖閣問題の陰で (その1)
一月末、ふと思い立ち二十歳の頃からの友人、私が人生で最も影響を受けた人物であるHに電話を入れた。いつもの通り冗談話でもするつもりであったが様子がかなり変だった。