「ズガーン!」という爆裂音が2回響き、バタバタと我先に避難する群衆が傍らを通り過ぎた。5月初旬のある日、午後9時過ぎのことであった。呑気な話だがこの時私は、報道に関わる友人と二人、赤シャツ派デモ隊が膨れ上がりバリケードの最前線となっていたルンピニ公園に相対するシーロム通りのパブでビールを酌み交わしていた。店のガラス窓の前には、陸軍の装甲車が待機している。ここなら物理的に危険は無かろうと考えたのだ。
タイ国内
赤シャツ・黄色シャツ・マルチカラー(2010年タイの政治騒乱)その1
2010年4月上旬の日曜であった。ある友人とランチの約束をしていた私は、自宅前でタクシーを止め、目的地のショッピング・コンプレックス「セントラル・ワールド」へと指示し乗り込もうとすると、運転手に“とんでもない”という語気で乗車拒否された。おかしいなとは思いながら、仕方なく徒歩で高架電車の駅から目的地と直結している駅へ移動した。連絡橋を辿り近付いていくと何やら物々しい雰囲気で、地上を見下ろすと先にあるラチャプラソン交差点(バンコク一のショッピング・エリアであるこの地域の中心)方面にかけてすべて赤一色だ。それは赤いシャツ、赤いバンダナを身に付け更に赤い大旗小旗を振り、ピックアップやバイクで乗り地方(主に東北)から終結した「赤シャツ派(タクシン元首相支持派)」が都心の大きな交差点を交通遮断し、この朝から占拠を始めたのである。この光景には驚いたが、「まあ勝手にしておれ」と思い混雑をかき分け目的のビルへ入ろうとすると、エントランスからどんどん人があふれ出てきており、警官がメガホンで「このビルには避難命令が出た。直ちに退出しなさい」と叫んでいる。
タイへの製造業進出、さらに加速化
初回のレポート(2012年4月)にて、2011年の洪水被害以後に於ける日系製造業の早期復興と更なる安定した投資先としてのタイについて報告させていただいたが、日本の経営環境、即ち電力の供給、光熱費高騰、被曝リスクや解雇規制等々の運営リスク増大により更なる投資ラッシュが訪れている。
1997年、タイにおけるアジア通貨危機
おや、やけに車が少ないぞ?
1997年7月初旬のある日、高速から一般道路(ラマ4世通り)への出口から住居周辺(スリウォン通りまでずっと渋滞の中を30分以上かけて帰るのが当たり前の道のりが、この日に限ってすいすいと走り10分程で到着してしまった。今から遡ること15年、その年の2月5日付で事務所を開業したばかりの私は、当然のことながらクライアントも少なく、事務所も郊外のバンナー通りにある、最初のクライアントの事務所の一角に居候し、我々夫婦と従業員1名で細々と運営をしていた。
大洪水以降のタイにおける日系企業動向
最近のタイにおけるトピックと云えば、やはり昨年10~11月に起きた大洪水の被害と日系企業のその後だろう。
